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東京高等裁判所 昭和52年(行コ)79号 判決 1978年9月19日

控訴人 金田昭夫 ほか一名

被控訴人 豊島税務署長

訴訟代理人 竹内康尋 島居康弘 ほか二名

主文

控訴人金田昭夫に関する原判決を取り消し、本件中同控訴人に関する部分を東京地方裁判所に差し戻す。

控訴人金田百子の本件控訴を棄却する。

控訴費用中控訴人金田百子に関する部分は同控訴人の負担とする。

事  実 <省略>

理由

一  控訴人百子の訴について

当裁判所の判断もまた結論において原判決と同一であり、その理由も次に附加するほか原判決の理由(同五枚目裏六行目冒頭から同六枚目表八行目終りまでの部分)と同一であるからこれをここに引用する、但し、「原告」とあるのを「控訴人」と読み替えるものとする。

原判決六枚目表六行目「相当である。」の次に、次のとおり附加する。

「すなわち、一般に法令で期間計算につき特定の日を含めその日から起算する場合には「……の日から起算する。」との用語例によつている(たとえば、年齢計算ニ関スル法律一項、戸籍法四三条、民法四七条、九一六条、九一七条、行政不服審査法一四条、四五条、五〇条、五三条など)ところ、行訴法一四条四項は、審査請求をした者の出訴期間の起算日につき「裁決があつたことを知つた日……から起算する。」と規定し、それは民法一三八条にいう「法令……二別段ノ定アル場合」にあたり、民法の規定の適用が排除され、したがつて、初日不算入の原則を定めた民法一四〇条の適用がない。控訴人百子は法令用語例に通じない一般国民に対して右のような解釈原則を適用するのは適当でないというが、個々の法令において期間の計算につきいわゆる初日不算入の原則(民法一四〇条)の例外を定めるかどうかはそれぞれの法令を制定する際の立法政策上の問題であり、当該法令が初日を算入すべきものとしてこれを法文化する場合右のように「……した日から起算する。」との表現をとるのは立法権技術的にも合理性があり、一般国民に対し誤解を生ぜしめるものとは考えられない。また行訴法所定の出訴期間は国民の権利救済に関係をもつ規定であるから、できるだけその保護をはかるためには控訴人所論のように初日を算入しない方がよいとしても、それは立法論としてならば格別、すでに、行政処分の確定という他の要請とも調和を図つて前記のように立法された現在においては、右規定の解釈として初日を算入しないとすることは右規定の明文に反することとなり許されないものである。」

二  控訴人昭夫の訴について

裁決書正本の送達の事情に関する原判決認定の各事実(同六枚目表一〇行目冒頭から同七枚目表四行目終りまでの部分)については、当裁判所もまた同一に認定するので、これをここに引用する。但し、同六枚目裏七行目「終えて」の次に「営業所で仮眠の上」を、同七枚目表三行目「了知し」の次に「控訴人昭夫あてのそれについては同控訴人が一八日に帰宅後飯台に置いてあつたのを見てこれを開披し、その内容を了知し」を、各附加する。

行訴法一四条四項にいう「裁決のあつたことを知つた日」とは、被処分者が裁決があつたことを現実に知つた日をいい、単にこれを了知しうべき状態におかれた日を指すものではないと解するのが相当である。けだし、行訴法が抗告訴訟につき出訴期間を定めた趣旨は、一方において行政庁の違法な処分によつて権利を害された者の権利救済を全からしめるとともに、他方において当該処分の効力を一定時期に確定せしめ、行政の安定を確保する必要をも考慮し、両者の利益の調整をはかる目的に出たものであるが、同法が右出訴期間につき長短二つの態様を区分し、処分の相手方等が処分等のあつたことを知つた日から進行を開始する出訴期間については比較的短い期間を、処分等の日から進行を開始するそれについては比較的長い期間をそれぞれ定めたのは、前者の場合には処分の相手方等において処分等があつたことを知り、その適否を争うことができることとなつた以上、現実に不服を申し立てるかどうかを考慮する期間としては比較的短い期間で足りるものとし、他方後者については、処分の相手方等に具体的にかかる機会が与えられたかどうかに関係なく、処分等の日から一定期間の経過によつてその効力を確定させる必要があるとの考慮に出たものであり、この趣旨から推すときは、前者の規定にいう「……があつたことを知つた日」とは、あくまでもその者が処分等があつたことを現実に知つた日を意味するものと解するのが最も合理的と考えられるからである。被控訴人は、右のように解すると、処分行政庁としては処分の相手方に対し処分書の送達等当該処分を了知せしめるに必要な措置を蓋したにかかわらず、処分の相手方の了知不了知という偶然的な事由により、また処分行政庁の確知しえない処分の相手方の内心的認識にかかる事実の有無によつて出訴期間が左右されることとなり不都合であるというが、確かに観念的には被控訴人の指摘するような難点があることを否定できないとしても、一般に処分の相手方に対して処分書等が送達される等処分の相手方が当該処分があつたことを了知しうべき状態に置かれたと認めるに足りる客観的事実が存在すれば、右処分の相手方においてその段階でこれを了知したものと事実上推定すべきものであり、実際上多くの場合はこれによつて右の不都合を避けることができると考えられるし、また処分の相手方等が右のように処分等を了知しうる状態に置かれたにかかわらず、正当の理由なくしてその了知を拒否ないし回避するような態度をとつたときは、信義則上処分不了知の故をもつて右時点からの出訴期間の進行開始を否定することができないと解することもできることを考え、他方被控訴人の主張するように、前記事実上の推定を反対証明を許さない法律上のそれにまで高めるにひとしい解釈をとるときは、被処分の相手方等がなんらかの正当な理由によつて処分があつたことを知りえなかつたこと、そのために右の段階では未だ当該処分の適否を争うことができない事情にあつたことが明らかにされたにもかかわらず、その者から出訴の権利を奪うこととなつて極めて不都合な結果を生ずることを考え、更に行訴法が前記のように処分等の日を起算日とする出訴期間を別に定め、その期間の経過によつて処分の効力を確定せしめるとの配慮を施していることをもしんしやくするときは、被控訴人の指摘する上記難点の存在は、上記のように、処分があつたことを知つた日を処分の相手方等が現実にこれを知つた日と解することをなんら妨げるものではないといわなければならない。

これを本件についてみると、前記引用の認定事実によれば、控訴人百子が昭和五一年六月一七日自己及び控訴人昭夫に対する各裁決書を配達証明郵便で受領したが、控訴人昭夫はタクシー運転手をしているため、右配達時前の同日午前八時以前に出勤し翌一八日午前二時ころ勤務を終え営業所で仮眠の上午前七時ないし八時ころ帰宅し家族から裁決書を手渡され内容を知つたのであるから、控訴人昭夫が裁決があつたことを現実に知つた日は、同年六月一八日であり、裁決書が送達された日である同年六月一七日ではないといわなければならない。もつとも、本人が処分等があつたことを了知しなくても、本人からの委託等により当該処分送の対象とされた事項につき管理権限を有する者がこれを了知すれば、本人自身が了知した場合と同視するのが相当であるから、本件の場合においても、控訴人百子が控訴人昭夫のために本件裁決にかかる事項の管理権限を有しておれば、控訴人百子が上記控訴人昭夫あての裁決書を受領した六月一七日に裁決があつたことを知つたものと推定し、控訴人昭夫の出訴期間も右六月一七日から起算すべきものと解する余地があるけれども、単に控訴人百子が控訴人昭夫の妻であるというだけでは直ちに右のような管理権限があつたものとすることはできないし、また、控訴人昭夫の前記裁決書送達時における不在が、例えばある程度の期間家を留守にする場合のように通常その間における事務の処理を留守番である妻に委託することが想定されるような特段の事情によるものではなく、単に控訴人昭夫のタクシー運転者としての日常勤務のためであつたこと前記認定のとおりである以上、同控訴人から控訴人百子に対し不在中の事務管理に関する委託があつたものと推認することもできないというべきである。そして本件においては、他に控訴人百子がかかる管理権限を有していたことを肯認せしめるに足りる証拠はない。

そうすると、控訴人昭夫については本件訴訟の出訴期間は前記昭和五一年六月一八日から起算すべきものであるところ、同控訴人が本訴を提起したのが同年九月一七日であることは記録上明らかであるから、右訴は出訴期間内に提起されたものとして適法であることを失わないというべきである。

三  以上のとおりであるから、控訴人百子の本件訴は不適法として却下すべきところこれと同趣旨の原判決は正当で同控訴人の本件控訴は理由がないからこれを棄却すべきものであるが、控訴人昭夫の訴は適法であるのに、出訴期間を徒過した不適法な訴であるとしてこれを却下した原判決は失当で同控訴人の控訴は理由があるから、原判決中右部分を取り消し、民訴法三八八条により本件中同控訴人に関する部分を東京地方裁判所に差し戻すこととし、訴訟費用の負担については、控訴人百子の訴に関する部分につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 中村治朗 高木積夫 清野寛甫)

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